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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)4079号 判決

原告 守屋圭三

被告 伏見清雄

右訴訟代理人弁護士 豊倉利忠

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、一億〇一三六万七六〇〇円及びこれに対する昭和六三年五月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

主文一、二項同旨。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  不法行為関係

1 原告

原告は、昭和二六年ころから肩書住所地に居住し、同四七年ころから関西中央ソニー販売株式会社に勤務し、同社の営業社員として主にソニー商品の特約店へのセールスに携わっている者である。

また、原告は、オーディオ・ビジュアル(以下「A・V」ともいう。)関係に趣味を持つ、A・V「マニア」であって昭和四六年ころから、ラジオ放送の録音並びにテレビ放送の録音及び録画(いわゆるエアチェック、以下「エアチェック」という)を、高機種、高画質テープを用いて頻繁に行ってきた。

2 ビル建設前の電波受信状態

原告は、A・V関係の趣味として、また、関西中央ソニー販売株式会社の営業社員としての仕事に資するためのものとしてエアチェックを行ってきたものであるところ、昭和六〇年においては、原告宅のFM放送の受信状態は、入力レベルで八五デシベルであって、マルチバスはほとんど皆無、テレビ放送の受信状態は、二チャンネル、四チャンネル及びUHF局を除き、入力レベルで八〇ないし九〇デシベルであった。

原告は、エアチェックを行うためには右の時点における受信状態に満足できなかったため、昭和六一年五月、それまで使用していたテレビアンテナをゴースト(電波反射による多重映像)対策用の最高級品に取り替えた。これにより、二チャンネル、四チャンネル及びUHF局(一九チャンネル及び三六チャンネル)の受信状態も大幅に改善していた。

3 被告のビル建設による受信状態の変遷

(一) 被告は、昭和六二年ころ、自らが施主となって原告宅の東南約二〇〇メートルの位置にある大阪府茨木市元町一四一一番及び同一四一二番上の鉄骨造八階建てのビル(以下「本件ビル」という)の建築工事に着工し、同年一二月初旬足場の鉄骨が外され、同月二一日ころには本件ビルをほぼ完成させた。

被告は、その間の同年八月一〇日ころ、建築中の本件ビルに仮設の共聴アンテナを設置し、次いで同年一二月二二日、本件ビルに本共聴アンテナを設置し、原告方のテレビ受像器に右各共聴アンテナからのアンテナ線が接続された。その後、被告は、昭和六三年一月一九日、本共聴アンテナを、VHF帯域を、ハイチャンネル(五ないし一二チャンネル)用とローチャンネル(一ないし四チャンネル)用の二本のアンテナに取り替えた。そして、同年二月二〇日ころ、本共聴アンテナの最終調整を行った。

(二) 被告の本件ビルの建築工事により電波障害が発生し、次のとおり、原告宅のテレビ及びFM放送の受信状態が著しく悪化した。

(1) 昭和六二年七月一一日ないし同年八月九日

同年七月一一日から、テレビの二チャンネルの画質が著しく劣化し、四チャンネルの画質もこころもち悪くなった。その後、日が経つにつれ、テレビ電波の受信障害はほぼ全チャンネルに及び、三六チャンネルを除く全チャンネルの映像の画質が悪化した(三六チャンネルは、電波の到来する方向が西方向であるため、本件ビル建設の影響を受けない。)。特にローチャンネル(VHFの一ないし四チャンネル)の受信障害が著しく、ゴーストが増え、SN比(信号と雑音の比率。数値が低いほど雑音が多く、画面がざらつく。)が著しく劣化した。七月一五日の時点では、二チャンネルは入力レベルで七〇デシベルを割り、三六チャンネルは八〇デシベルを確保していたが、その他のチャンネルはすべて七〇数デシベルという状態であった。

(2) 昭和六二年八月一〇日ないし同年九月末

仮設共聴アンテナによる受信によりSN比は回復したが、ゴーストには変化がなかった。特に八チャンネルの画質が著しく悪かった。また、三六チャンネルは、仮設共聴アンテナによっては全く受信できなかったため、三六チャンネル受信時には、原告が、原告宅の既設のアンテナにつなぎかえて受信していた。

(3) 昭和六二年一〇月初旬ないし同年一一月末

再び画質が劣化し始め、三六チャンネルを除く全チャンネルにわたって画像の右約一〇センチメートルの位置に著しいゴーストが発生し、三六チャンネルは受信不能の状態であった。NHK・FM放送も入力レベルで三〇デシベル劣化し、五五デシベルであった。

(4) 昭和六二年一二月初旬ないし同月二〇日

更に画質が悪化し、仮設共聴アンテナ設置前と同程度の画質となった。FM放送も入力レベルは下がったままであり、三六チャンネルは受信不能の状態のままであった。

(5) 昭和六二年一二月二一日ないし同月二八日

本共聴への切替によって受信状態は改善されなかったばかりか、多くの家庭に電波を分配するために使用されるブースター(電波増幅器)の増幅過剰の影響により画質は逆に悪化し、全チャンネルに派手なビートが出て正視に耐えない画質となった。三六チャンネルも若干受信できるようになったが、SN比が悪いうえ、ゴーストも多く、殆ど実用にならない状態であった。

(6) 昭和六二年一二月二九日ないし昭和六三年一月一八日

ブースターの増幅過剰による画質障害は一〇チャンネルにわずかに残る程度になった。しかし、全チャンネルにわたり画像の右側一〇センチメートルほどに派手なゴーストが現れ、また、更に細かいゴーストが三重四重になって現れ、録画をするためには全く実用にならない状態であった。

(7) 昭和六三年一月一九日以後

同年一月一九日のアンテナの立て換えによって、大きなゴーストは、一〇チャンネルと一二チャンネルにわずかに残るだけで、ほぼ改善された。しかし、ほぼ全チャンネルにブースターの増幅過剰による画質障害があり、画像が三重四重又は六重七重にもなって本来の映像にまとわりつく小さなゴーストは全く改善されず、特にローチャンネルに著しい状態であった。

そして、昭和六三年二月二〇日ころ、被告が実施した共聴アンテナの最終調整後は、右調整前に比してかなりテレビ画質は改善され、チャンネルによっては一般的な使用には耐える画面にはなったものの、本件ビル建設前の状態には遠く及ばない。

なお、FM放送のみ実用入力レベル八〇デシベルに達している。

4 原告に対する権利侵害

被告の本件ビルの建築により、原告宅のテレビ・ラジオ放送電波の受信が妨害されたことによって、原告は、憲法一三条の規定により保障された幸福追求権を侵害され、関西中央ソニー販売株式会社の営業社員としての仕事上の必要からのエアチェックを不可能にされるという営業妨害を受けた。

また、被告は、原告の再三にわたる事前了解手続の要請にもかかわらず、仮設共聴アンテナの設置その他一切の工事につき地域住民に対する連絡なしにこれを行い、昭和六二年一二月初旬から同月二〇日ころまで、連日午後一時から四時ころまで送信を中断させ、同六三年二月二四日にも、原因不明の送信中断を行った。これは、被告が公共放送電波を自らの思うままに自由自在に操っているものであり、被告はこれにより、情報を捜査し、原告の知る権利を侵害したものである。

5 被告の注意義務違反と原告の損害

以上のとおり、被告は、原告宅のテレビ及びラジオ電波の受信に障害が生じないように本件ビルを建築すべき注意義務があったにもかかわらず、右注意義務を怠って違法に本件ビルを建築し、その結果、3項のとおり原告宅のテレビ及びラジオ電波の受信障害を引き起こしたことになる。そして、原告は被告の本件ビルの建築により別紙損害賠償計算書及び別紙慰謝料計算のとおりの損害を被った。

二  債務不履行関係

1 原、被告間の和解

原告が大阪地方裁判所に申し立てた仮処分申立て事件において、原告と被告との間で昭和六二年八月二一日、被告は原告方に電波障害が生じないよう本件ビル完成時に共聴アンテナを設置するものとする旨等を内容とする裁判上の和解が成立した。

2 被告の和解上の債務の不履行

被告は右和解に基づく債務を履行して、原告宅のテレビ電波等の受信状態を本件ビル設置前の状況に回復させていない。

3 原告の損害

被告の右債務不履行により、原告は別紙損害賠償計算書及び別紙慰謝料計算書のとおりの損害を被った。

三  結語

よって、原告は被告に対し、不法行為又は債務不履行による損害のうち一億〇一三六万七六〇〇円及びこれに対する不法行為の後である昭和六三年五月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する認否)

一  不法行為請求関係

1 請求原因一項1のうち原告の住所は認め、その余の事実は知らない。

2 同項2の事実は知らない。

3(一) 同項3(一)のうち、昭和六三年七月一一日当時、被告が原告主張の場所に本件ビルを建設中であり、本件ビルの本体工事は昭和六三年一二月末ころ、完成したこと、被告が、原告主張の日時ころ本件ビルに仮設共聴アンテナを設置し、続いて(本)共聴アンテナを設置し、更に、共聴アンテナの調整等を行なったこと、右調整等によって、原告宅のテレビの画質が向上したことは認める。

(二) 同(二)のうち、(1)ないし(7)の事実は知らない。

4 同項4は争う。

5 同項5は争う。

原告は、基本的に市販ビデオソフト等の定価をもとに損害賠償額を算出しているが、著作権法一一九条によれば、原告は、自ら録画したビデオテープ等を第三者に販売することは許されておらず、したがって、右市販ビデオソフト等の定価をもとに損害賠償額を算出することは全く理由のないことである。

二  債務不履行関係

1 請求原因二項1の事実は認める。

2 同項2は争う。

3 同項3は争う。

(被告の主張)

一  被告は、茨木市元町一四一三番地の二等に鉄骨造八階建床面積延一四四一・七九平方メートル屋上エレベーター機械室を含んだ高さ二八・二四メートル(建物の高さ二三・三メートル)の店舗事務所共同住宅(本件ビル)を建築し、本件ビルの本体工事は、昭和六二年一二月末ころ完成した。

その間、被告は、昭和六二年六月一一日、株式会社阪神共聴センター(以下「阪神共聴センター」という)との間で、阪神共聴センターが本件ビルの建築に伴うテレビ電波受信障害対策工事を代金三五〇万円で請け負う旨の請負契約を締結した。

阪神共聴センターは、右請負契約に基づき、同年八月上旬に本件ビルの屋上に仮設共聴アンテナを設置し、伝送線設備等の工事をなして本件ビルの近隣の受信障害対策工事を完了し、右工事によって近隣住民からはテレビの映りが良くなったと喜ばれているのが実情である。

しかしながら、原告から、またテレビの映りが悪いとの苦情がでたので、テレビのメーカー立ち会いのうえで、阪神共聴センターにおいて本件ビルに設置した共聴アンテナの位置を調整し、かつ、位相器、調整器及び受信増幅器を設置した結果、原告のテレビの映りは鮮明になった。

ただ、四チャンネル及び一二チャンネルに多少のゴーストが生じるが、これは共聴アンテナの設置位置によるものであり、その設置位置を変更すれば他のチャンネルの映りに影響するため、専門の業者においてもこれ以上に改良することは不可能であるとのことである。

二  高層ビルの建築によるテレビ電波の受信障害の対策工事は一般人を対象として行えば足りるものである。本件においては、原告以外の近隣住民からはテレビの映りが良くなったと喜ばれているのが実情であるから、原告がテレビの映りにつきなお不満があるのであれば、自らにおいて受信設備を工夫すべきものであり、被告には原告のテレビの映りについての不満につきこれ以上の責任はない。

(被告の主張に対する認否)

一項のうち、テレビメーカーがアンテナの調整に立ち会ったこと及び四チャンネル及び一二チャンネルに多少のゴーストが生じるのみであることは否認する。

二項は争う

受信対策工事は一般人を対象としたものであるから、それでもなお被害を受けている原告に対しては別途の損害賠償を支払えというのが原告の本訴請求をなした趣旨である。

第三証拠《省略》

理由

第一不法行為関係について

一  原告について

請求原因一項1のうち、原告の住所については当事者間に争いがなく、その余の事実は《証拠省略》により認められる。

二  本件ビル建設前の電波受信状態について

《証拠省略》を総合すれば、原告は、主に、ビデオテープ等に可能な限り高画質及び高音質で録画又は録音したいというオーディオ・ビジュアルマニアとしての強い要求と、加えて家電製品販売会社のセールスという仕事上、合同展示会等で最終ユーザーに対し高画質で録画されたビデオテープを示す必要性もあって、昭和六二年当時、ビデオデッキ四台(EDベータ型ビデオデッキ二台及びハイファイビデオデッキ二台)を所有し、また、自宅に、VHF帯域の電波を受信するために、ローチャンネル用とハイチャンネル用の二本でアンテナを設置し、さらに、UHF帯域の電波を受信するために、三〇素子程度のゴーストをなくする高級アンテナを二本設置する等のエアチェックのための設備を有していたこと、そのため、原告宅の電波の受信状態は、NHKに依頼した調査では、FM放送が入力レベルで八五デシベル、テレビ放送が入力レベルで八〇デシベルないし九〇デシベルであり、ゴーストも非常に少なく、AVマニアの原告としては、特に不満はないとのものであったことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  本件ビル建設による受信状態の変遷及び被告の本件ビル建設における態度について

同一項3のうち、被告が原告宅の東南約二〇〇メートルの位置にある大阪府茨木市元町一四一一番に本件ビルを建築し、本件ビルの本体工事は昭和六二年一二月末ころ完成したこと、被告が原告主張の日時ころ本件ビルに仮設共聴アンテナを設置し、続いて(本)共聴アンテナを設置し、更に、共聴アンテナの調整等を行ったこと、右調整等によって原告宅のテレビ画質が向上したことはいずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実に加えて、《証拠省略》を総合すると以下の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告は、施主として、昭和六二年四月一六日、建築確認を受け、そのころ、建築会社である株式会社冨士工に請負わせて右所在地において自己所有の本件ビル(鉄骨造八階建店舗事務所共同住宅)の建築工事に着工した。

本件ビルは、茨木市の市街地の阪急茨木駅から北西約三〇〇メートルの地域に所在し、その付近は、百貨店等も存在する商業地域であって、本件ビル付近には相当数の高層ビルが建設されている。

2  本件ビルの基礎工事が終わり、鉄骨が組み上がる前の同年六月ころに、被告は、原告以外の本件ビルの近隣住民から、本件ビル建設による受信障害が生じている旨の苦情を受けた。そこで、そのころ、被告は、右苦情に対応するため、有線テレビの調査、設計、施工及び管理を行っている阪神共聴センターとの間で、工事代金三五〇万円で、阪神共聴センターが本件ビル建設によるテレビ電波受信障害対策工事を請け負う旨の請負契約を締結した。

3  本件ビルの建築により原告宅にも電波障害が生じ、同年七月一一日ころ、原告は、原告宅で受信したテレビの映像を録画したビデオテープの再生により、二チャンネルの画質が悪化していることに気づき、近隣住民への問い合わせ、放送局への調査依頼等を行い、その結果、本件ビルの建築による電波受信障害により、右画質の悪化が生じたことが判明した。そのころ、NHKに依頼して調査したところ、原告宅の受信状態はテレビの二チャンネルが入力レベルで五七デシベル、三六チャンネルを除くその他のチャンネルが入力レベルで六一ないし六二デシベルであった。その後、テレビの受信状態は徐々に悪化し、SN比が低くなったものと考えられる画面のざらざらがひどくなっていった。なお、三六チャンネルは、電波の発信方向が異なるため本件の建築による電波への影響はなかった。そこで、原告は、市役所等へ問いあわせをして、阪神共聴センターと連絡をとった。ところで、阪神共聴センターは、当初、机上調査の結果、原告宅は本件ビルのテレビ電波受信障害対策地区外としていたが、原告からの要請を受けて、同月一四日ころ、阪神共聴センターの代表者である永澤寛(以下「永澤」という。)が原告宅を訪れた際、原告からの説明や本件ビルの建築工事着工前に原告宅で録画されたビデオ映像と現在のテレビ映像の比較によって、本件ビルの建築により、原告宅にテレビ電波受信に影響が生じていることを認め、原告宅をテレビ電波受信障害対策地区に組み入れることとした。更に、原告の要請を受けて同月一五日ころ、永澤、被告の子で中央産業株式会社の専務である伏見清昭(以下「清昭」という。)及び本件ビルの設計管理を行った株式会社エム・ケイ設計事務所の三村武の三名が原告宅を訪れたところ、原告は、清昭らに対し、本件建物の建築禁止の仮処分申請することも考慮している旨を述べて、電波障害に対する対策、更にその賠償や補償条件の提示を求めた。

そして、同日、再度原告宅を訪れた清昭らから、原告側の条件等の呈示を求められた原告は、要旨、次の事項を要求し、かつこれらを記載した覚書を原・被告間で作成することを求めた。

(一) 被告は、本件ビル完成時には共聴アンテナを設置すること

(二) 被告が難視聴地区の家庭へのケーブル配線を行い、希望があれば室内配線まで行うこと

(三) アンテナの寿命は五年、ブースターの寿命は一〇年とし、被告の責任で交換すること

(四) 右の各義務は本件ビルの所有者が変わった場合にも承継されること

(五) 被告が以上の約定に違反した場合は被告の費用で本件ビルの取り壊しを要求できること

(六) 被告は本件ビル建設中の応急対策を行うまでの間、本件ビルの建設工事を停止し、その間補償交渉を行うこと

(七) 右応急対策として仮設共聴アンテナの設置、ビデオテープの貸し出し等を行うこと

その後、同月一六日ころ、清昭は、右(一)ないし(四)、(六)と同旨の記載をし、被告名を記名した覚書を原告宅へ持参して原告の同意を求めたが、原告はこれに納得せず、署名押印を行わなかった。

4  そして、原告は、同月三〇日、被告を被申請人として、本件ビルの建築禁止及び電波障害のもととなる物件の撤去等を求めて大阪地方裁判所に仮処分の申立て(大阪地方裁判所昭和六二年(ヨ)第三〇五八号)をなした。被告は、右仮処分申立てについての審理手続において「共同アンテナが既に設置され、原告の自宅室内の配線も何時でもなしうる状態でありまた視聴率(画質の意。)も従前より甚だしく良くなる訳であります」との記載を含む答弁書を提出した。右仮処分申立事件において、同年八月一一日、原告と被告との間で次の内容の裁判上の和解が成立した。

(一) 被告は、原告方に電波障害が生じないよう本件ビル完成時に共聴アンテナを設置するものとする。

(二) 被告は、アンテナの寿命は五年、ブースターの寿命は一〇年、ケーブルの寿命は一五年を目途として、これらを交換するものとする。

(三) 被告は、本件ビルの所有者が変更した場合にも本和解条項の内容が新所有者に承継されるよう措置されるものとする。

(四) 被告に右記の義務に違反があった場合には原告は被告に対し、相応の損害賠償を請求することができるものとする。

5  被告は、本件ビルに仮設共聴アンテナを設置していたが、同年八月七日、原告宅にも右仮設共聴アンテナが接続された。そして、そのころ、被告又は阪神共聴センターは、「テレビジョンの受信対策工事を完了したことを了承します。」との記載のある確認書に、原告を含む仮設共聴アンテナ接続対象建物居住の各住民の署名捺印を受けた。

右仮設共聴アンテナ設置後、原告宅テレビの映像のSN比は仮設共聴アンテナ設置前と比較して改善されたが、テレビ画面の映像にゴーストが生じている点で、原告にとっては画質としては不満が残った。

6  同年一二月下旬、本件ビルが完成し、被告は、同月二二日ころ、仮設共聴アンテナから共聴アンテナ(本共聴アンテナ)に切り替えた。

共聴アンテナに切り替えた後は、ゴーストはかなり改善されたが、原告にとっては、テレビ画面の画質が本件ビル建設前に自宅のアンテナで受信していた当時と比較して画質として満足できるものでなかったため、被告及び阪神共聴センターに対し共聴アンテナによる受信状態の改善を申し入れた。

7  その後、被告において、共聴アンテナを、ハイチャンネル用とローチャンネル用の二本を設置する等したが、原告は、被告を被申請人として、昭和六三年一月三〇日、原告宅の電波受信状態を本件ビル建設以前と同様若しくはそれ以上になるよう措置すること、もし当該措置が不可能な場合は、本件ビルを妨害の生じない高さまで撤去することを求めて、大阪地方裁判所に仮処分の申立て(大阪地方裁判所昭和六三年(ヨ)第二九五号)をなした。

8  右仮処分申立てについての審理手続の間の昭和六三年二月二〇日ころ、被告の指示を受けた永澤は、電波受信状態を改善させ原告の不満を解消するため、アンテナメーカーの技術者にも援助を依頼して共聴アンテナの位置を調整し、かつ、位相器、調整器及び受信増幅器を新らたに設置した。

右により、原告宅テレビ画面の映像に生じるゴーストは更に改善されその画面は放送業関係者において一般に用いられている画質評価(放送局ででる電波そのものによる映像を5とし、順次1まで画面の影等を基礎に評価する)として一般的に視聴にさしつかえのない3+程度となった。ところで、原告宅は、本件ビルの建築によるテレビ電波受信障害対策工事の対象となっている約七〇戸のうち、本件ビルから最も遠くに位置する数戸のうちの一戸であって、そのため共聴アンテナから原告宅までの配線は約四〇〇メートルを要し、右配線中に電波の減衰が生じたのでこれに対処する必要から配線の途中に約三台のブースターが設置されている。このブースターによってテレビの画質に悪影響が生じる場合があり、共聴アンテナと共聴アンテナによりテレビを視聴している家庭との間の距離が遠い場合には、共聴アンテナからの電波と直接視聴者宅のテレビに入る電波との間で時間差が生じ、プリシュート(テレビの画像の右側に影が生じる現象)がでる可能性があり、原告宅のテレビにも右の障害がみられる。そして、原告にとっては、なお、テレビ画面の画質はビル建設前に自宅のアンテナで受信していた当時と比較して画質として満足できるものとはならなかった。

なお、FM放送の受信状態については、遅くとも共聴アンテナの位置調整後は、原告にとっても、特に不満を感じるものではなかった。

9  また、仮設共聴アンテナ設置後は、原告以外の近隣住民からの被告に対する電波受信障害についての苦情は特に寄せられていない。

10  そして、原告本人は、原告宅のテレビの画質を本件ビル建設前の原告自ら設置したアンテナで受信していた当時と同等の状態にする方法としては、ビルを取り壊す以外には現在ただちに実現可能な方法は考えられない(但し、この点については、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二五号証によれば、クリアビジョン放送において専用チューナーを用いればゴーストの改善が可能である旨の記載がある。しかし、同号証によっても、右方法により原告宅のテレビの画質をどの程度改善できるものなのかは必ずしも明らかではない。)、共聴アンテナの最終調整以後の原告宅のテレビの画質は、UHFを除くチャンネルについては時折生じる障害(原告はブースターによる障害であるという)を除き一般家庭で満足できる程度であり、原告としては録画をして保存するためには不満であるが、見て楽しむ分には問題がないと供述している。

四  ところで原告は、本件ビル建設前から肩書住所地に居住し、テレビ及びラジオ電波を受信していたものであり、原告の右テレビ及びラジオ電波を受信することによる生活利益は、法的な保護の対象となる利益であると解される。そして本件ビル建築中の昭和六二年七月ころから後においては、原告が従来自ら自宅に設置していた受信設備によるときは、本件ビル建築前より画質又は音質としてかなり劣るテレビ画面及びラジオ音声しか得られなかったこと及び右画質及び音質の劣化が本件ビルの建築により引き起こされたものであることは、右認定のとおりである。

そこで、前記一ないし三の事実関係を前提として、被告の本件ビル建設が故意又は過失により原告のテレビ及びラジオ電波を受信することによる利益を違法に侵害するものであって原告に対する不法行為を構成するものであるか否かを以下において検討する。

1  本件ビルの建築は、建築確認を受けて行われ、ビルの用途も反社会的なものではなく、また、その建設地の地域は、商業地区であり、他に高層建築も存在することは前記認定のとおりであって、本件ビルの建築それ自体許されないものとはいえない。

2  原告宅は、本件ビルの建築によるテレビ電波受信対策工事の対象となっている約七〇戸のうち、本件ビルから最も遠くに位置する数戸のうちの一戸であって、本件ビルの建築によりテレビ及びラジオ電波の受信に影響を受けた地域のうちでは最遠方に位置する居宅であったこと、及び被告の電波障害対策を委託された専門の業者である阪神共聴センターにおいても、当初、本件ビルの建築により、原告宅が電波の受信に影響を受けることを予見していなかったことは前記認定のとおりであって、右事実に照らすと被告において、本件ビルの建築により、原告宅にまで電波受信障害が生じること及びその電波受信障害が生じるとしてその程度を正確に予見することはかなり困難であったといえる。そして、原告が、電波の受信状態の悪化を意識し、被告及び阪神共聴センターに対し連絡をとった後は、阪神共聴センター代表者の永澤は、原告宅をテレビ電波受信対策地区に組入れ、被告の息子である清昭と共に原告との交渉にも応じ、結局、仮設共聴アンテナ、その後共聴アンテナを設置し、これらのアンテナを原告宅に接続し、更に共聴アンテナの調整等も行っていることも前記認定のとおりであるところ、これらの事実に照らせば、被告は、原告に対する善意をもって本件ビルの建築による原告宅の電波受信に対する悪影響の程度を軽減するよう努力し、被告において可能な限りで行動していたものといえる。

3  仮設共聴アンテナ設置後は、原告以外の近隣住民からの電波受信障害についての苦情が特に寄せられていないことは、前記認定のとおりであって、これによると、原告宅においても、少なくとも一般のテレビ視聴者又はラジオ聴取者にとっては特に痛痒を感じない程度の受信状態は確保されていたものと推認される。

4  以上のとおり建設施工主のビル建設による利益及び市街地の有効利用等を考えると、本件ビルのような高層建築物の建築も保護に値するものであること、本件ビル建設地の地域性、前記のとおり本件ビル建築の当初、被告において、原告宅に電波受信障害が生じること及びその程度を予見することがかなり困難であったこと、本件ビルの建築により原告宅の電波受信状況に影響が生じてから仮設共聴アンテナ設置までは比較的期間が短かったこと、仮設共聴アンテナ設置後の電波受信状態は一般のテレビ視聴者又はラジオ聴取者にとっては特に痛痒を感じない程度のものであったこと、三項で認定の原告の苦情に対する被告の対応の仕方、原告宅は本件ビルから比較的遠い位置にあるため電波受信対策工事につきある程度の技術的制約があること、放送電波を受信することによる利益は身体及び生命に直接影響をもたらす性質のものではないこと等を併せ考えると本件ビルの建築による原告宅の電波受信状況に対する影響は、社会生活上一般に受忍すべき限度内のものであって、いまだ違法性を帯びる程度のものとはいえないと解するのが相当である。

5  原告は、A・Vマニアとして特に良好な画質及び音質を得たいという強い欲求を持っているのであるから、一般人を対象とした電波受信対策工事によってもなお被害を受けており、この被害について別途損害賠償がなされるべきである旨主張するのでこの主張につき検討するに、仮設共聴アンテナ設置又はそれに続く共聴アンテナ設置後においても、テレビの画質等の本件ビル建築前に比較しての劣化が認められるとしても、右画質等の劣化は、原告の主張自体からして、原告のA・Vマニアとしての個人的な趣味から問題とされている面が大きいものであるから、被告に、原告に対する害意があったような場合はともかくとして、原告の右の主に個人的な事情から被告の本件ビルの建築が違法性を帯びるということはできない。そして、本件においては、被告に原告に対する害意があったとはいえないことは前記のとおりである。

また、被告には、本件ビルの建築にあたり、本件ビル建設地の近隣に原告のような極めて良好な画質及び音質を得たいという欲求を持つ者が居住していること及びそのような者がいたとしてその者がどの程度の画質及び音質の悪化を我慢できない程度のものと感じるか等についてまで予見し、右予見にしたがって結果を回避すべき義務までは存在しなかったというべきであるし、現時点において、原告宅のテレビの受信状態又はテレビ映像の画質を、原告が主張する本件ビル建設前の状態にまで回復させるための方法としては、主張及び証拠上、本件ビルを取り壊す以外に明確なものがあるとは認められないのであるから、被告にとって、テレビの画質に対する影響等を回避する可能性について明確かつ具体的なものは証拠上存在しないということになる。

また、原告は、電波障害によりエアチェックができず、関西中央ソニー販売株式会社の営業社員としての営業妨害を受けた旨主張するが、エアチェックが同会社において営業上必要なものであれば、同会社において行うべきことであるから、一営業社員がエアチェックを行って営業に資さねばならないものとは解しえないから、本件ビルの建築による電波障害が営業妨害にあたるものとは解しえない。

したがって、これらの点からしても、原告の右主張をもって被告に不法行為責任を負わせることはできない。

第二債務不履行関係について

一  請求原因1項(原・被告間の和解)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2項(被告の和解上の債務の不履行)の事実について判断するに被告が共聴アンテナを立て、右共聴アンテナを立てた後の原告宅の電波の受信状況が、一般のテレビ視聴者及びラジオ聴取者が痛痒を感じない程度のものであったことは、先に認定のとおりであるところ、第一の三項で認定の和解は、その和解条項(一)の文言自体をみる限り、電波受信障害を回避するために一般的に用いられている共聴アンテナを設置すれば足りるものと解されるものである。そして、その余の和解条項である(二)ないし(五)の文言を併せて解しても、原告宅の電波の受信状況を一般テレビ視聴者及びラジオの聴取者が痛痒を感じない程度に回復させる以上のことまで約したものと解することはできない。そして、更に、第一の三項で認定の原告と被告が右和解をなすに至る経緯を併せ考えても、本件ビルを取り壊す以外に原告が主張するところの本件ビル建設前の状態にまで原告宅のテレビの受信状態を回復させるための明確な方法が存在したとはいえなかったのであるから、原告の主観においてはともかく、右和解において、原被告間で原告宅のテレビの受信状態又はテレビ映像の画質を、一般のテレビ視聴者が痛痒を感じない程度を越えて、原告が主張する本件ビル建設開始前の状態にまで回復させる旨の合意がなされたということはできない。したがって、被告に和解に基づく債務の不履行があったということはできない。

第三結語

以上の次第であってその余の点について判断を進めるまでもなく、本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺﨑次郎 裁判官 白石哲 酒井康夫)

〈以下省略〉

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